[[四重の福音]]~
[[わたし達の救い主キリスト]]|[[わたし達の潔め主キリスト]]|[[わたし達の癒し主キリスト]]|[[再び来たり給う主キリスト]]
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 この点についても多くの人々によって誤謬、思い違い、欺瞞、不当な評価などがなされてきました。これは例 の”敵”が信徒を惑わして、聖書の預言を正しく学び喜ばしい希望に生きる道からそらせようと、真理を曲げる ための策略です。

 聖書には主イエスがもう一度この地上においでになると教えられていますが、わたし達は誰も、その日その時期についてはい つ起こるときめることも知ることもできません。ただ父なる神だけがご存じの事です。たとえ預言書をひもどいてその時期を予 測することができるとしても、わたし達がなすべきことは、黙してへりくだり静かに終わりの日まで見守ることです。

 この教えで一番大切な点は、主イエス・キリストがこの地上にもう一度おいでになる、という事です。それは、人が死んだ時 とか聖霊の経験を受けた時、或いは全世界に福音が宣べ伝えられた時に、それを霊的な意味でキリストがおいでになったのだ、 と言うのではありません。そうではなくて、復活された主イエス・キリストが、弟子達の見ている目の前で昇天されたその時の 姿そのままに、おいでになる事を言います。このような主の再臨は、それによって千年期をもたらすためです。千年期とは主イ エス・キリストが、御自分の義と平和のうちに君臨される栄光に満ちた世界を言います。ですから大事なことは、主を仰ぎ待ち 続けながら、かの世の力に導かれて生きることです。

 主の再臨は実に喜ばしい希望です。そしてこの望みは、わたし共が潔められた生活を注意深く歩むために、又、熱心に真実こ めてすべての人に福音を証するために、大きな霊的な力となります。”そして、このみ国の福音は、すべての民に対してあかし をするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後がくるのである。”(マタイ24:14)
 「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか、あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行か れるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう。」

RIGHT:使徒行伝1:11

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