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[[四重の福音]]~
[[わたし達の救い主キリスト]]|わたし達の潔め主キリスト|[[わたし達の癒し主キリスト]]|[[再び来たり給う主キリスト]]
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わたし達の潔め主キリスト
 「聖化」といいますと、「一時の流行」とか「狂言」とか言った言葉と一緒に、ある人達から敬遠されてきました。その人達は「潔く生きる事」を、神聖ぶること、パリサイ主義(律法主義)、自己完成、などと混同しているからです。悪魔は、神の子達(クリスチャン達)を神の無限の祝福から何とか遠ざけようとして、至る所にこういう名の案山子を立てて脅しています。

 潔い、という事は実はこういうことです。主イエス・キリストが、わたし達の内においで下さり、わたし達と一緒に歩んで下さることによって、わたし達も主イエス・キリストと同じように考えたり行ったりすることができるようになる、ことです。しかし、しれではわたし達の自我の誇りを増長させ、自己満足を助長させるだけではないかとお思いになるかも知れません。ところが実際問題として、キリストと共に歩むということは、わたし達が徹底的に自分のみにくさと弱さとを知らされなければできない事なのです。そして、自分の考えや努力に頼ること、自己満足するということが、どんなに間違いであるかを思い知らされて、イエス・キリストをただ信頼しきって歩む、そういう日々を送る者とされます。ですから、潔く生きるということは、一面極くらくな生き方であるという事ができるでしょう。わたし達の弱い足で、はるかな高嶺を目ざしてむりやりよじ登る必要はありません。無力なわたし達のためにいつでも助けて下さるお方として、キリストをただ単純に、素直に信頼すればよいのです。試練の時であれ順境の時であれ、あなたの心のために必要な主の恵みと力をもらい続ければよいのです。同時に、他の一面では、このような依存的な歩みにもかかわらず、わたし達は主のの完全という高いレベルにまで引き上げられます。人間の努力で到達できる最高の完全よりももっと高い、つまり、人間の基準を越えて神のレベルにまで到達する、そういう高さにまで引きあげてくれます。自分などまったく取るにたりないものでしかないという事が分かると同時に、ただ主イエスの満ちみちた命の輝きに満たされることが分かります。

 そこで、この恵みを受けるために二つのステップをふみます。簡単です。一つは、自分自身を徹底的に神に任せきってしまうこと、今一つは、キリストを主と仰いで信じきること。この二つです。自分自身を完全に神のみ手の中にゆだねてしまい、同時に「わたしの主」として神を心から信頼します。いつもキリストを仰ぎ、その教えの言葉に耳を傾けながら、この自我放棄と神信頼をどこまでも守り続けます。パウロが「あなたがたは、キリスト・イエスを主として受けいれたのであるから、主を着て歩きなさい。」と言っている通りです。

 この事を導き助けて下さるのは聖霊です。聖霊は、主イエスがわたし達の潔め主でいらっしゃることを、わたし達に悟らせて下さり、信仰の歩みの中でわたし達に必要な助けを、いつでも主に執り成して下さいます。ですから、聖霊のバプテスマを受けるという事と、潔め主イエス・キリストがその潔さの中にわたし共を包み込んで下さる事とは同じです。聖霊は、決してキリストとは別に離れたところで、わたし達に働きかけるという事はなさらず、キリストによる恵みを知らせ、キリストがどんなにすばらしいお方であられるかを教えて下さいます。

 いつもキリストの背後にお立ちになって、わたし達が信ずべきお方として、又、交わりと愛を受けるお方としてキリスト御自身を、わたし達に示して下さいます。ですから、クリスチャンが信仰深い生涯を歩むとき、それを聖霊の実と言い、キリストがわたし達の知恵となり義と聖とあがないとになられた(第一コリント1:30)と言っているのは、どちらもほんとうです。

 ところで、潔め主としてキリストを知るという事は、わたし達の信仰生涯の中で、ある時、ある明確な形の経験となります。何となく自然のうちに分かっていく、というようなものでありません。丁度ヨシュアとその民がヨルダン河を渡った時のように、一線を劃しますヨシュア達はヨルダン河を渡って約束の地に足をふみいれると、大きな石を積んで記念の碑としました。

 愛する皆さん、あなたのヨルダン河を渡りましたか? 神の約束のあの潔めの地にお入りになりましたか?
「どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたし達の主、イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。」

第一テサロニケ5:23,24
RIGHT:第一テサロニケ5:23,24

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